11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち.
2013/02/25 (Mon)
レンタルDVDで映画『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』を借りて見る。まあ、そこそこですね。悪くも良くもさして無いって感じです。
内容に関して言う前に、まず監督の若松孝二氏は、2012年10月、新宿で突然の交通事故で亡くなっている。お悔やみを申し上げます。
若松監督のような社会派監督って、もう日本には居ないんじゃないかというほどの絶滅危惧職で、世間に媚びないこの若松監督の姿勢は貴重であって、誠に惜しい人を亡くしたと思います。
2008年の力作、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を残し、晩年にして”これから”の人でした。
元はピンク映画の人で、エロスを追及してたという実績も筆者(fanta)が若松氏に思い入れるひとつの要素でもあります。
ああ、fantaが学生の時、若松組の助監督をやらないかというい話が遠まわしにあって、断ったことがありますわ。どうせ務まらなかったと思う。
さて、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』ですが、言われているように、何故今、三島由紀夫なのかという疑問がまず出てきますよね。それに対する答えは本作品には見つけられません。
本作は、やはり三島の生きざまをテーマにした、85年のアメリカ日本合作映画「MISHIMA」(日本未公開)で表現されていた三島の文学性、美学、同性愛をバッサリ切って、愛国、憂国、民族主義だけを残した三島になっています。
どちらかと言うと、若松ではなく、企画で参加している右翼の鈴木邦男氏の三島観が前面に出ているような感じがします。
三島が今で言ういわゆる”ゲイ”だったことは、数々の証言、発言から、ほぼ間違いないとfantaは思ってますけど、実際にバーやハッテン場で会った訳でもなく、ましてやエッチした訳ではないので分かりません。そこまで古くないですよfantaは。
ただ、分かりませんが、ゲイ雑誌『薔薇族』の先輩ライター諸氏が、見たり会ったりやったりしたような話をするので、それを疑ってはいません。汚れ専だったときいています。
サウナのシーンが確か2シーンあって、三島始め、楯の会の若者たちが三島含め5人が裸になっている。どこのサウナなのか、三島邸のサウナなのか(多分これ)、バスタオルを不自然に巻いているのが気になりましたね。
三島役の井浦新(ARATA改名)の裸が、「ボディビルで鍛えた三島とは程遠い軟な身体で、三島に対する冒涜である」という意見には同感です。ARATA自身の身体は、fanta好きな感じですが・・。
三島の文学性については、fantaは確か3冊しか読んでないし、いやーな読後感の『金閣寺』しか覚えてない。さらには今作、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』では、全くと言っていいほど触れていないので、述べませんが、以前友人と「ああゆうのがウケた時代だったんじゃないの?」という話をしたことがあります。
写真は、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』のチラシ。