J・エドガー
2012/07/02 (Mon)
単なる映評では、この『ファンタサイケダイアリー』としては芸が無いので、この作品、無視しようと思ってましたが、脚本のダスティン・ランス・ブラックのWikiを読んで書く気になりました。何故ならダスティン・ランス・ブラックが、『ミルク』の脚本家でもあることを知ったからです。クリント・イーストウッド監督最新作品『J・エドガー』に対するモヤモヤした釈然としない印象の原因が、このダスティン・ランス・ブラックの脚本とクリント・イーストウッド監督とのミスマッチにあることを確信しました。
まず、映画『J・エドガー』について、この映画は、アメリカFBIを作り、50年近く長官として君臨したジョン・エドガー・フーヴァーの公私を描いている。
面白かったかどうかと問われれば、20代から老人になり死ぬまでのジョン・エドガー・フーヴァーを老けメイクで見事に演じきったレオナルド・ディカプリオが、面白くってしょうがないですね。
結局、この映画は何を言いたいかと言うと、なんだか分からない。結局”老人ゲイラブストーリーなのかどうなのか?
イーストウッド監督に、それをやりたかったのかと問うならば、「いや、俺は脚本に書いてあることをしっかり撮っただけだよ」と言うと思うんですよね。
つまり、脚本のダスティン・ランス・ブラックが偏向してるんですよ。ハッキリ言って。
ダスティン・ランス・ブラックは、この作品を”クローゼットゲイのラブストーリー”として書いてる。『ミルク』の脚本家ならさもありなんです。『ミルク』も主演は光ったが、内容は偏向したゲイリブ映画だと思いますからね。
じゃあ、その”クローゼットゲイのラブストーリー”が感動を呼ぶのかといえば、呼ばない。魅力も無い。
それは、監督がそこに魅力を感じていなかったからだと思う。
特典(ブルーレイで見た)で、「クリント・イーストウッドは、特に強調していない」ってなことを言ってる。
ダスティン・ランス・ブラックのWikiを読んで呆れたわ。なにが「近所の少年に慕情を感じて悩んだ」だ? 自分のセクシャリティを売り物にしてるとそのうち息詰まるよ。
まあ、想像するに、「フーヴァー長官は、ホモセクシャルである」という指摘が以前からあり、その人物の伝記の脚本を書くならゲイ映画の秀作を書いたダスティン・ランス・ブラックが適任であるということで、彼にお呼びがかかったのではないでしょうか?
つまり、お呼びをかけたのは、クリント・イーストウッド率いるマルパソ・プロダクションズであり、まあ、いかにもノンケらしいストレートな発想だなと思う次第です。
イーストウッドは昔からそういうところあるからね。「ゴー・ヘッド!」ってなところ。
追伸・ああ、「ノンケの会社でセクシャリティを売り物にして働いていたゲイ」は、自分自身でもあったなと、今、気がついた。写真は『J・エドガー』より、レオナルド・ディカプリオ。
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